どうも 弱虫くんです! 皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回は、中学生編をお送りします!
前回無事小学校を卒業した弱虫くん、いよいよ中学に入学します。
中学に入ると近所の小学校3校が集まります。知らない人がほとんどになり、魔の巣窟と化していました。
そしてここで恒例の人見知り発動。
人見知り+プライドが高いという鬼コンボで話かけることができないという地獄。 瞬く間にグループができ、孤立。登校初日にして心が砕かれる、、
しかし授業の関係などで必然的に話すきっかけができ、無事喋れる人ができました。これで真のボッチにはならずに済んだと安心する弱虫くん。ですが友達という感覚はなく、物凄い違和感がありました。なんか友達(仮)みたいな笑
そして当然学校生活が微塵も楽しくなく、またも休みがちに、、そして休みながらもなんとか登校していましたがアレが始まった、、、
そう、、、プールだ、、、
ここで完全に心が砕けた弱虫くん。
今思えば泳げなくてもそれをネタにして仲良くなれば良いだけ。むしろチャンスじゃん!と思いますが当時はそんな余裕あるわけないですよね。 思春期特有のカッコつけたがりだったため、ダサいところなんて死んでも見せたくないとあのデカい水溜まりから逃げ回っていました。
そしてプールのシーズンが終わる頃、、、
気づけば弱虫くんは家にいた、、そう、本格的に不登校になっていたのです。
ここから不登校人生が幕を開けます。
始まった引きこもり生活。ここから自己肯定感が崩壊していきます(元々低かったですが)どういう生活をしていたかというと、家にいてテレビ見て寝るをひたすら繰り返してました。当時はスマホもSNSもありませんでしたし。なんとなく日記を始めてみたり(1日でやめた)、大人の塗り絵なるものをしてみたり(健全なものですよ笑)、とにかく初めのうちは色々やってみるのですが、すぐ飽きては何かやってみての繰り返しでした。
義務教育も果たさず、ただ飯を食らい家のことをするわけでもなく、自堕落な生活を続けていました。そんな弱虫くんに何の文句も言わずに、自発的に立ち直るのを見守ってくれていた両親には感謝しかありません。本当に心配で辛かったことでしょう。そして自分自身も罪悪感という毒に蝕まれている気分でした。でも行動できなかった。そんなこんなで何の進歩もなくただただ時間だけ過ぎていくそんな1年間でした。
そして、1年生も終わり2年生になりました。桜が満開で何かが始まりそうな予感がする季節。両親から心機一転、もう一度頑張って学校行ってみないかと言われました。半年以上も学校にいなかった人間が急に登校してきたら、皆にどう思われるかという恐怖に支配されました。がなんとか踏ん張って登校することに(本当に死ぬほど嫌だった)新しい担任、新しいクラスメート、ここからなんとか這い上がってやる!と意気込んだ次の日、早速不良に絡まれました!! いやー、なんで?笑
その不良は柔道部で、大ボウズと小ボウズの2人組でした。 まず廊下を歩いていた弱虫くん(例に漏れずボッチ)は、突如大ボウズに胸ぐらを掴まれます!そして放たれた一言は、「お前調子乗ってるだろ!」でした。弱虫くんからすると頑張って登校して、緊張しながら歩いていただけです。そこに「お前調子乗ってるだろ!」という謎ワード。乗れるわけないですよね?乗れるなら乗りたいくらいです。
はい、聡明な皆さんならもうお気づきですね? そうです。気づけば弱虫くんは家にいました。キレーに元通りです。
さて、元に戻った弱虫くん、またテレビを見ては寝るのループに入ります。数ヶ月後見かねた両親は、保健室登校というものを教えてくれました。 知らない方のためにお伝えしておくと、不登校の生徒が安心して通える、教室以外の勉強部屋です。シェルターのようにガッチガチに守られています。そこに自分以外に5人の不登校の生徒がいました。そこにはちょっと変わった生徒達が多かったのですが、やはり気が合うことはなく、行ったり休んだりを繰り返します。
ここで親からの提案が入ります。家でダラダラしてるのもなんだから、親の知り合いのお寺さんでお手伝いさせてもらえば?ということに。 何となく(失礼)で行ってみることにしました。正直、お手伝いといっても何をするわけでもなかったです。置いてあったあしたのジョーや、火の鳥なんかを読んだり、1人でサッカーしたり、たまに気が向いたら勉強してみたり、そんなレベルです。
あっ、そういえば初日に出していただいたお茶の湯飲みを割るというドジをしてしまい、本当に落ち込みました、、そしてそのお寺にもいつの間にか行かなくなります。そして次なる親の手が、弱虫くんが通っていた保育園にボランティアとしていかせてもらうということでした。
この保育園の園長先生は本当に人間の出来た方で大尊敬しています。心よく引き受けてくださり、参加させていただくことに。そしてなんと弱虫くんが4歳くらいの時の先生方が弱虫くんのことを覚えてくれたんです!本当にすごく嬉しかったです。そして同時にこのような体たらくの自分がすごく恥ずかしく、そして情けなく思えました。
保育園のボランティアといっても園児達と遊んであげる(もらう?)くらいだったのですが、すごく懐いてくれて、毎年年賀状送ってくれたり、保護者の方からお礼の手紙を頂いたりとすごく心が温まったのをよく覚えています。(今でも大切に保管しています)
そして中学3年までボランティアさせていただき、ほんの少しだけ自信を取り戻した弱虫くん。次は高校生に上がります。
今回はここまで。 ではまた!
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